最高裁判所第一小法廷 昭和41年(行ツ)3号 判決 1969年7月03日
上告人 日本橋税務署長
訴訟代理人 川島一郎 外三名
被上告人 日本商工振興株式会社 破産管財人
主文
原判決中上告人敗訴の部分を破棄し、右破棄部分につき被上告人の控訴を棄却する。
前項の部分に関する当審及び控訴審の訴訟費用は被上告人の負担とする。
理由
上告代理人田中勝次郎の上告理由について
原判決の認定したところによれば、破産者日本商工振興株式会社(以下破産会社と称する。)は、貸金業その他を営業目的とし、その資金調達のため幾度か、増資を重ねたがその各増資手続における新株の発行は、同社の役職員を形式的に株式引受名義人としてこれを引き受けさせ、払の込みは見せ金により、無記名株券を作成したうえ、その株式の買受人を募集し、応募者の買受代金は通常同社において立替払いの形式をとり、これを買受人から割賦償還の方法によつて同社に払い込ませ、買受株式額面相当額の支払いのあつた後に買受人に株券を交付していたというのである。そして、かくして破産会社の株主となつた者は、一定の期間経過後同社から一定金額を限度として持株額面額の三倍まで融資を受けうることになるが、融資を希望しない株主には、同社の営業に利益があると否とにかかわりなく、また同社の決算期とも関係なく、一定の割合をもつて計算された株主優待費なる名目の金員が支払われ、なおその持株を他に譲渡を希望するときは、同社から額面相当額の株式譲渡代金の立替払いを受けることができる定めになつていたというのである。
原判決は、右事実に基づき破産会社の増資新株の会社資本としての意義は全く名目上のものであつて、その発行は実質的には広く預金ないし掛金を集める手段にすぎないもので、その株主の地位は架空にひとしいものとし、その破産会社への入金は会社の預り金ないし借入金と解し、従つてこれに対応して支払われる前記株主優待費は、実質上資金利用の対価たる預金利子類似のものとし、法人税法上は破産会社の損金を構成する旨を判示する。しかし、右破産会社の増資手続には特異なものが認められるにもせよ、前叙のような増資新株に対する買受人の割賦償還金の払込みにより、株金相当額が受け入れられて会社は自己資本を増加し、増資の方法による資金調達は達成されるのであつて、かかる新株の発行を当然無効のものということはできず、株式買受人の取得したのは株主の地位以外のものではないのである。原判決は現に有効に存立する法律状態を無視するものであつて、首肯したがい。破産会社から融資を受ける利益も、株主優待費の受領も、すべて同社の株主となることによつて享受できることになるものであつて、実質的に前記増資新株の払込金に充当される金員以外になんら同社に出指していない株主につき、右株主優待費を預金利子類似のものとは到底解しがたい。
そして、このような株主優待費の支出の法人税法上の取扱いとして、仮にこれを資本調達を容易ならしめるために支出を要する経費と解するにしても、商法所定の建設利息にも該当しないこのような支出を、会社の損金として計上することは認められず、また、これを株式買受人の前叙のような払込金に対応して交付されるものと解するならば、その性質は配当以外のものでありえず、その支出を会社の損金に算入を許されないことは、すでに当裁判所 昭和三六年(オ)第九四四号、同四三年一一月一三日 大法廷判決(民集二二巻一二号二四四九頁)の判示するところである。本件株主優待費も、それが融資を希望しない株主に対しのみ、しかも会社の営業利益の有無、決算期のいかんに関係なく、一定額をもつて交付されるものとはいえ、なおこれを一種の配当と認めるのを相当とし、従つてその支出は破産会社の損金を構成するものとした原判示は肯認しがたく、これを法人税法の解釈を誤つたものと非難する論旨は理由がある。
よつて、原判決のうち上告人敗訴の部分は、これを破棄すべきものとし、かつ、右破棄の部分においては、係争の更正決定について前叙株主優待費の支出額の取扱い以外にはその金額その他に関し争いはないものと認められるので、民訴法四〇八条一号の規定により、右破棄部分についての被上告人の控訴を棄却することとし、訴訟費用の負担については、同法八九条、九六条の規定を適用し、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判官 入江俊郎 長部謹吾 松田二郎 岩田誠 大隅健一郎)
上告理由
第一部増資払込金について
一、原判決の『所謂見せ金』について
原判決は『破産会社は右増資に当り(中略)所謂見せ金により(中略)増資手続を完了し、(中略)実質上払込のない所謂空株(中略)を発行し』云々と判示しているが、(判決文三枚目裏終りより六行目以下参照)判決文のいわゆる見せ金の意義について何等判示するところがないから意義不明であるが、察するところ原判決文はこれは、他から借入れた金銭をもつて払込んだことを意味しているのではないかと思う、若し果して然りとせば、原判決は払込の意義を誤解するものである。ローマ法の格言に『金銭は悪臭を放たず』という格言があるが、その意味は、金銭は臭いを放たないから、例えば株式の払込金にしても、これが自分で働いて得た金銭であろうと、他から借り入れた金銭であろうと或は甚しきは他人の金銭を横領して得たものであろうと金銭であることには変りはないから、払込取扱銀行は金銭で払込まれた以上はこれを拒む理由はないことを教えていたものと解さなければならない。従つて見せ金による払込は払込でないという原判決の判示は難きを人に強いる不当な判示であるといわなければならない。
二、株式会社組織が唯一の方法であるとして発足した破産会社が払込なき株式会社を設立するわけがない。
そもそも株主相互金融会社のような複雑な組織のもとに開業するに至つたのは何故であるか、その理由を検討しなければ、到底事件の解決は望まれない。よつてその理由を検討してみると、本件のように、貸付資金の持ち合せがなくて金融業を営むためには銀行預金などのように無担保で預り金ができればこれに越したものがないが、無担保の預り金は弊害が多いから、厳重な監督官庁の監督に服する金融機関に限り許される所以である。故に貸金業取締法は厳重に預り金を禁止している。そこで、無担保資金を集めて事業を営むことは株式会社組織によつて広く株主の払込む資本金の運用によるの外はないことを知り、発足したのがこの株主相互金融会社である。このような事情のもとに発足した破産会社であるから設立の当初から、設立の絶対要件である払込を怠るわけがない。またこの設立を適法になしたからこそ、登記を完了したのであつて、その間何等違法の形跡はないことは適法に登記が完了された証拠である。ことに原告が第一審裁判所に提出した準備書面によれば、このことを裏書している。即ちこれによると『その目的(上告人註「その目的」とは株主相互金融会社の目的を指す)を達するためには応募者が破産会社の株主たる資格を取得することを条件としている関係上、破産会社はこれらの応募者に新株を引受けしめた株主であることを要求するのである』云々と主張している。(昭和三七年三月一日付原告準備書面二枚目表三行目以下参照)このように破産会社自身が新株の応募者は、株主であることを条件としておるにも拘らず、その株式の発行に際し、払込をしないで、払込を装うような違法(商法四九一条)をなすはずがない。
しかるに原判決は、これを無視し『右の各増資に当りまず破産会社の役員または職員等を形式的に株式引受人とし株金の払込は所謂見せ金により破産会社の取引銀行を株式払込取扱銀行とし(中略)実質上払込のない所謂空株を発行し』云々と判示していることは(判決文三枚目裏六行目以下参照)前記原告の準備書面の主張を否定するものであるが、原判決は何を証拠としてこのようなことを判示したかその理由を解するに苦しむものである。
三、破産会社は払込に際し空株を発行したことはない。
原判決は『破産会社は右の各増資毎に実質上払込のない所謂空株(抱株)の無記名株券を発行し』云々と判示する、が事実に反するも甚しいものである。
そもそも新株発行に際し、新株の引受人が株式の払込をする場合には、如何に巨万の富を有する資産家であつても常に必ず現金を持合せているとは限らないし、むしろこんなことはまれであつて、多くの場合これらの人々は自己の資産を既に投資に利用しているのが常態であるから、新しく会社の設立又は、増資に応ずる場合は、差当り自己の既投資の資産を担保としてこれを借入れ、これを払込に充て、しかる後に永久投資の方法を講じ、或るときは持ち株の一部を売却し、或は又預金を引き出す等の方法によつてこれを実行することは多くの場合に見聞するところである。原判決のいうようにいわゆる見せ金による払込によつて払込が無効になるのではなく無効となる場合とは、いわゆる預合と称せられるものであつて払込を仮装する場合である。(商法四九一条)
ひるがえつて本件増資の実体を見ると、会社は、原判決が判示している通りにまず会社の役員に対し会社所有の資産(例えば破産会社の従業員等が会社に頂けた社内預金等)を担保として借入れ、更にこれを前記の役員に貸付けて、これをもつて前記役員の引受けた新株の払込に充てしめかくして役員をして新株を有効に取得せしめたあとで、これを一般大衆に分売する方法がこの会社の営業内容であつて、この際採算をかえりみず高率の優待費を交付し、これを好飼として多数の株式譲受希望者を募り、かくして募集に応じた株式譲受人が日賦又は月賦の払込によつて得た会社の資本金が、この会社の唯一の貸付資金となつたのであるから、破産会社が全力をこの募集にそそいだのは判決文が自ら判示する通りである。このように、この会社は、株式の払込金額をもつて会社の貸付資金とするものであるから、判決文が判示するように払込ない空虚の資本をもつて事業(金銭貸付業)を経営したなどということはどこを押せばそんな結論が生じてくるであろうか、資本の充実の原則を守つてこそこの会社は事業の経営が成立つのである。しかるに原判決は架空株を発行して、その代金を月賦又は日賦で回収したように判示しているが、だれが架空株の売買に応ずるものがあるであろうか、破産会社が破産したのは架空株の発行のためではなく、優待金を不当に高く支払い、遂に採算が取れずに破産となつたのであつて、架空株の発行のためではない、実際は架空株ではなく完全に資本充実の原則を守つたことは以上の如くである。ことに、本件の株主相互金融会社の営業方法は原判決が認識しているようにそんなインチキな会社ではないことは現に同じく破産会社と同様の方式で営業中の株主相互金融会社のなかには、現に立派に黒字に営業中のものもあるのは、これらの健全な会社はその経営よろしきを得て破産会社のように放漫でなかつたためであつて、これに反し破産会社が破産した原因は、全くこの放漫経営の結果であつて原判決が判示するような空株の発行のためではないことは以上の説明によつて明らかとなつたことと思う。(因みに、前記の今なお黒字経営を続行しつつある株主相互金融会社の例は、新潟市所在の東光商事株式会社はその例であることを附記しておく。)
四、破産会社は資本の充実の原則を守つたことを原判決自身がこれを承認している。
原判決は、破産会社は架空の払込をなし資本充実の原則を守らなかつたと判示しているかと思えば、またこれと反対に破産会社は資本充実の原則を守つたことを認め、前後矛盾した判決を下している。即ち原判決は
『実質的には増資新株に対する右の割賦償還金の払込によりはじめて株金相当額の社外よりの支払がなされる計算となるのである』云々(原判決六枚目裏終りから四行目以下参照)
と判示して、破産会社は一時的には、株主が破産会社からの融資に基いて払込まれたが終局的には、株主の月賦又は日賦の払込によつて資本の充実が行われたことを判決文自身がこれを承認して前後矛盾した判示をしている。
原判決の矛盾は、以上の外次の諸点は何れもこれを立証している。
(1) 『額面金額相当の金員を全額支払わしめた後株券を交付する』云々(判決文四枚目表終りから三行目)
(2) 『実質的に増資新株に対する割賦償還の払込によりはじめて株金相当額の社外からの支払がなされる計算となる』云々(判決文六枚目裏終りから四行目)
(3) 『株式譲渡代金の立替払を受けることにょり実質的にはその払込金額相当の金員を回収することができる』云々(同上七枚目表から四行目以下)
問題は、増資引受人の払込は別として(これが現実に払込まれたことは既述の通りである。)株券を月賦、日賦で一般大衆の株主に譲渡されるまでの間に果して資本充実原則が守られたかというに、これは既に述べたように、既に払込済の株式を一般大衆に売却するのであるから資本充実の原則は守られたのは勿論、その次の段階である応募者の大衆に譲渡する際にも月賦又は日賦償還を完了するまでは会社は株式を引渡さないで会社に保留し、完済後はじめて株券を交付することになつているから、この間何等資本充実の原則を破ることなくまたその必要もなかつたわけである。(会社に保留したことは判決文五枚目表二行目参照)
第二部優待費は破産会社の損金なりやの問題について
甲、『隠れたる利益処分』と優待費
一、『隠れたる利益処分』と『公然の利益処分』との区別
『隠れたる利益処分』という法概念について、陳述するに際してその前提として明らかにしておかねばならぬことは、凡そ利益処分には二つの種類があつて、その一つは『公然の利益処分』であつて、他の一つは茲に謂う『隠れたる利益処分』である。このなかで通常利益処分と称せられるものはこの『公然の利益処分』であつて、利益を利益として貸借対照表上にこれを表示して利益処分をする方法であるこの方法が正常の利益処分であつて、これに反し、隠れたる利益処分とは実質上は、利益の処分であることを貸借対照表上から隠して、その実利益処分をする場合の利益処分のことである。何故に利益処分でありながら、公然と利益処分をしないで隠れて利益処分をする場合があるかというに、その動機はいろいろあるが、その最も普通の動機はこれによつて利益のあることを会社の外部に知られたくない動機、ことに納税上の理由から税務当局者に知られたくない動機から行われる場合が最も多いが、なかには必ずしも納税上の動機から行われるとは限らないで、或は競争会社に自社の事業成績を知らせたくないという動機からも行われることがあるし、或はまた納税上税金を減少せしめたい動機からでなく、損金又は益金の意義に対する解釈上の相異から当局者と意見を異にし、納税者側はこれを損金と解したために損金支出したことを、当局者はこれを認めないで隠れたる利益処分と認定する場合もある。
要するに隠れたる利益処分は、公然の利益処分とは正反対の利益処分のことであつて、正常な利益処分は、公然の利益処分だけであつて隠れたる利益処分は変則の利益処分であると記憶してもらいたい。
二、隠れたる利益処分と税法独立論の台頭
何故にこのような変則的の利益処分が行なわれるようになつたかというに、これは税率の異常な昂騰がその原因であつて、即ち二十世紀に入つてから突発した第一次世界大戦を契機として各国の財政需用の増加に伴う異常な税率の昂騰は国民をして何如にすれば、犯罪にならないで、合法的に税の負担を軽減することができるかについて腐心するようになり、かくして民間人の間に考案されたのがこの隠れた利益処分である。その方法を一言をもつてこれを説明すれば、会社がその出資者又はその近親者に対して会社の財産を無償でこれを供与することである。何故にこれを黙認することは税法が認めないかというに、若し当局者がこれを黙認することになればこの方法によつて、無限に会社の財産は社外(出資者)に流出して、遂に法人税の租税収入は一銭も期待することができないことになるからである。例えば、或る同族会社の社長の給料としては一〇万円を相当とする場合に、これをもつと不当に高く、即ち二〇万円を増額して合計三〇万円を支給したと仮定すれば、差額の二〇万円は、その社長の勤労に対する報酬ではなく、単なる会社からの利益の供与(即ち贈与)となるから、この部分の二〇万円の給料はその実会社の必要経費ではなく本来ならば、当然会社の利益処分として計上さるべきものを、税を軽減したい動機から、これを損金として支出するものであるから、こんなことを税法が黙認するはずがない。若し当局者がこれを黙認することになれば税の軽減はだれでも望むところであるから、われもわれもとこれに倣い遂に一銭の法人税の租税収入も国庫に這入らず、社外に流失してしまい、引いては国家の財政政策は根底からくつがえされるという不都合な結果となるから、たとえ明文がなくとも、諸国の税務当局者や、裁判所は期せずしてこれが警戒を怠らないで、これが損金性を否認している所以である。しかるに独り我が国の裁判所のなかにはこの隠れたる利益処の弊害を理解しない裁判所があつて、本件原判決のようにこれが損金性を認める裁判所があるのは甚だ遺憾である。
三、「隠れたる利益処分」と『税法独立論』の台頭
隠れたる利益処分の弊害の恐るべきことは以上述べたところであるが、これに対抗して学者実際家の間に台頭したのがいわゆる『税法独立諭』であつた。この税法独立論の主張は、税法は公法の一部であつてその使命は、国家と国民との縦の線を規制する法律であつて、これと民法とか商法とかの国民相互間の横の線を規制する法律とその性質において全く異なるものがあるからこれまで一般に考えられていたように税法は民法とか商法とかに追随すべきでなく税法は税法独自の使命にかんがみて税法独自の原則を打ち立てなければならないというのが税法独立論の主張である。この説が提唱されるや、これに共鳴する学者実際家が続出し、一九一九年に制定されたドイツの租税基本法は早くもこの説を採用することとなつた。しからばどんなことが税法独立論の骨子となつたかというに、税法は、立法上も、解釈上も、事案の実質を捉えてこれを基本として考慮しなければならないというのであつて、学者はこれを称して『経済的観察方法』と称し、わが国では俗にこれを実質課税の原則とも称している。この新学説は忽ちにして全世界を風靡するに至つたことはあとで述べる通りであるが、その内容の主なものを挙げてみると、例えば民法上無効な法律行為によつて得たる所得といえども既に事実上これを獲得している以上は課税の対象となるというのがこの説の主張である。次に法律行為濫用禁止の原則の如き、或はまた、これを母体として発生した『隠れたる利益処分禁止の原則』の如きもその例である。よつて以下、本件の優待費の性質と直接の関係のある『隠れたる利益処分』、について以下少しく述べてみたい。
四、隠れたる利益処分と税法独立論
隠れたる利益処分(正確には隠れたる利益処分禁止の原則)もまた法律行為の濫用禁止の原則に出発するものであるから、この隠れたる利益処分もまた税法独立論の主張である。しからば、どんなことが隠れたる利益処分であるかというに、これは、『会社がその出資者に対して利益の処分とは認められないようなある他の方法(例えば本件の優待費と同様に損金支出の方法)で会社の財産をその出資者に無償で供与する場合である。例えば会杜がその出資者に対して不当に高い報酬や地代家賃又は利子等を支払つた場合は、その不当に高い部分は、会社の利益をそれだけ削減してこの部分を出資者に無償で供与(即ち贈与)したことになるが、これは本来ならば、会社の利益を利益として申告して法人税を納めるのが本筋であるのをこれを省略して損金支出の方法で会社の利益をそれだけ減少せしむる方法であるから、税法(税務当局者や裁判所)がこれが損金性を否認するのである。
以上が学者の挙げている隠れたる利益処分の説明であるが、何故に税法がこんな方法による利益処分をすることを許さないかというに、前記の通りこれを許すことになると、たとえてみれば、恰も底に穴があいた容器に水(税収入)を盛るようなもので、税金という国庫歳入は、国庫(容器)の収入とはならないで底の穴(隠れたる処分)から外部に脱出し遂に一銭の国庫収入をも期待することができないことになるが、これでは、重大な国家の財政資源を失うことになり、引いては、重大な、国家の財政政策の破滅を来すことになるから、税法はこれを否認するのである。
これを要するに、我が国は別として、諸国の税法は何れも隠れたる利益処分を理解し換言すれば税法独立論を認めていることは、左表の示す通りであつて、その大部分は独立論者のうちの穏健派に属しているが、独りわが国の裁判所のなかには、この世界の趨勢に立ちおくれて、本件の原判決のような判決をなして税法独立論を否定した判決をしたのは甚だ遺憾である。
税法独立論者中の強硬派と穏健派一覧表
強硬派
ドイツ ベツカー、ラインハルド
イタリア バノーニー、グリヂオチー、ブルダリース
フランス トロタバス
ルーマニア ゲオルケツシユ
穏健派
ドイツ ビユーラー、バール、ガイラー、ヘンゼル、ミルプト、シユツルツツ
スイス プルーメンシユタイン
フランス ゼニー、デユエー、ワール、ラロー、ビロン、サバチーア
オーストリア シタインバツハ、ベーン、バウエルク、ミルバツハ、ラインフエルド
チエコ フツクス、フンク、ベラーク
ベルギー バンホート
乙、原判決に対する上告人の批判
一、原判決は金銭貸付業者として破産会社が当然守るべき鉄則を無視した判決である。
金銭貸付業としての破産会社が当然採るべき営業上の鉄則は、他の多くの金融業者と同様に信用ある借主を選びこれに対して貸付けることであつて、破産会社が営業上の方針として標榜しているような営業方針『株主であればだれにでも融資するという』方針で営業したとすれば破産会社は忽ち貸倒れが続出し遂に破滅するからである。故に破産会社のこの営業方針は、単なる表面だけの営業方針であつて真の方針はやはり金融業者としての鉄則を守つて営業したはずである。何となれば、若しそんなことを怠れば忽ち貸倒れが続出し、遂に元も子もなくすることは必至であるからである。従てこんな馬鹿げた営業方針を方針として金融業を開業する人は世界広しといえども一人もない。これは他に目的があつて、他人を欺瞞するための手段ではないかということに直ちに着眼しないようでは有能な裁判官であるということはできない。何となれば少しく常識をそなえた裁判官であればだれでもこんな馬鹿げた営業方針で金融業を営むはずはないことを直ちに看破するからである。原判決の裁判官が、こんなわかり切つたことが看破できないで、漫然原告の主張を信じて原判決を下したことは、返す返すも遺憾である。この点において、株主に限り融資するだけでなく、株主ならばだれにでも融資するという馬鹿げた方針を表面の営業方針としたことが、他に何等かの目的に利用するための伏線ではないかということを気がつかないようでは有能な裁判官であるということはできないが、このことを直ちに看破した裁判官があつた。それは昭和三五年三月一五日判決の東京地方裁判所昭和三五年(行)第六二号、同三一年(行)第一〇九号、同三二年(行)第二六号及び同三三年(行)第一九三号の併合事件を判決した東京地方裁判所第三部の裁判長石田哲一判事であつた。同判事は同じく株主相互金融会社である新潟市所在の東光商事株式会社に関する租税事件を担当し、熱心にこの事件と取り組んだ際に当時の被告代理人であつた本件の上告代理人の弁護士田中勝次郎に対していろいろ突込んだ質問をされたとき、田中はその問題ならば今度某雑誌に論文を発表することになつているからこれが御一覧を願いたいと答えたところ、裁判長は非常によろこび、是非それを見せてもらいたいとの要求があつて間もなくこれを裁判所に提出した論文が別紙参考第一号として本件上告理由書に添付した別紙『隠れたる利益処分と最近の租税判例』と題する論文であつた。石田裁判長はこの論文を熟読せられたらしくこの論文の趣旨を理解して被告勝訴の判決を下されたのであるが、この判決文は、前記の『株主に限り融資し、株主ならばだれにでも融資する』という金融業としての鉄則を無視した営業方針を方針としたことの欺瞞性を看破された名判決であるから左にこれが判決文の一部を紹介する。
『(前略)右の支払を受ける株主(上告人註、右の支払を受くる株主とは、優待金の支払を受ける株主を指す)は、原告会社から(中略)融資を受けない株主に限られているわけであるけれども、原告会社は金融業を営むものであり、右融資においても、融資を受けた株主は融資金に対し利息を支払わねばならない(中略)のであるから、融資を受ける株主として、第三者よりも優先的に融資を受けられるという利益はあるけれども、融資する原告からすると、貸付をなし得る資金を何人に貸付けようと原則として会社の営業自体には関係のないことであり(上告人註、これは信用ある借主に貸付けることが貸金業者としては最も重大なことで、ただ、それだけが重大であつて、それ以外はだれに貸付けようと会社としては会社の自由であつて会社の営業方針とは関係のないことであることを判示したものである。) 従つて、融資を受けないということが、原告会社に対し何等かの特別な営業上の利益を与え、原告会杜としてこれに対して何等かの対価を与うべきものということはできない。(上告人註、これは原告が優待金の支払は、融資を受けない株主が融資請求権を放棄してくれたために融資の資金に余裕ができたわけであるから優待金はこの融資請求権の放棄の代償であるから原告会社の損金であるというのが原告の主張であつたから判決文はこれを駁して、融資といつても相当利息を支払つたわけであるから、これ以上の代償を必要としないから損金とはならないと判示したのである。)そうすると、本件優待金等は、株主であり、原告会社から融資を受けないという理由のみにより、他から何らの実質的理由なくして、その持株数に応じて支払を受けているというべきである。
右のような性質を有する本件優待金の支払は、原告会社の純資産を減少する方法による株主に対する実質的な利益の供与というべきであり、これは、法人税上原告会社の所得を計算する際には、原告会社の利益の処分として益金に計上するのが相当である。』
以上がこの判決の要旨であるが、この判決はいわゆる隠れたる利益処分という法観念の意義を正解して、優待金の支払がこれに該当する所以を明らかにした名判決として茲に紹介する次第である。
要するにこの判決の趣旨は、会社の支出が会社の必要経費となるためには、例えば会社が商人からその商品を買入れたときに、その代金を支出する場合のように、会社が受けた利益の反対給付として支出する場合に限るものであつて、本件のように、何等反対給付を会社に交付しないで只単に株主という理由だけで優待金を受け取つた場合にもこれを損金であると主張することは損金の性質に反するという判決であつてまことに名判決であるといわなければならない。なお以上のほかこの名判決に倣つた判決は次の諸判例があるが、独り原判決だけが金融業者として当然守るべき鉄則の存在に気がつかず、優待金をもつて損金であると判決したのは甚だ遺憾である。なおこの株主相互金融会社に対して正しい判決を下した判例は、前記の判例の外次の四判例がある。
(1) 東京高等裁判所 昭和三六年四月一二日判決、昭和三五年(ネ)第一〇七二号(前記判決の控訴事件)
(2) 東京地方裁判所 昭和三五年一〇月二五日判決、昭和三〇年(行)第七号事件
(3) 名古屋地方裁判所 昭和三七年一二月八日判決、昭和二九年(行)第一五号
(4) 名古屋地方裁判所 昭和三七年一二月八日判決、昭和三〇年(行)第一〇号
二、原判決の『利益の有無にかかわらず、かつ決算期と関係なく支払われる優待費であるから損金である』という判示について
原判決はこのように判示しているが、これは『隠れたる利益処分』という法概念があることを原判決は知らないためである。何となれば既にしばしば述べたように、事業年度の途中において、損金支出の形式で、その実利益処分をなすことが『隠れたる利益処分』の特徴であるから、これに該当する本件の優待費が利益の処分であつて損金ではないことは明らかである。
(原判決七枚目以下参照)
三、原判決の『優待費は預金利子類似のものに外ならないから破産会社の損金である』という判示について、(原判決の七枚目裏四行目以下参照)
原判決は右のように判示するも、これは、原判決が、株主に対する利益の配当と借入金の利子とを混合するものである。何となれば原判決は、『優待費は、実質上は資金利用の対価である預金利子に類似するから破産会社の損金である』と判示するから、原判決の理論をもつてすれば株式会社の利益の配当の如きは悉く損金であるということになる。何となれば、会社の利益配当も、経済的には株式会社の資本金を利用した対価として株主に支払われる点において預金利子に類似しているから、株式会社の一般の利益配当はすべて損金であるという結論となるからである。
若しまた優待金が利子であることになると元本の存在を必要とするが、原判決は、この場合は元本は何であるかを明示する勇気ありや、若しその勇気があればはつきりと借入金が元本であると判示し、その借入金とは何であるかをはつきりと判示すべきであつた。預金利子類似などとあいまいな表現を用いてその態度を明らかにしなかつたことは原判決が貸付資金は借入金であると主張することは、破産会社が株式会社であることと矛盾することを怖れたためであるというの外ない。
四、破産会杜が、株主であればだれにでも融資するという方針を取つたのは優待費は融資請求権の放棄の代償であるから破産会社の損金であると主張するための口実であつた。
既に述べた通りに、破産会社の方針として株主でないと融資しないとか株主であればだれにでも融資するとかを方針としたという、変則的方針を取り金融業者として当然取るべき鉄則である、信用ある人を選んでこれらの人々にだけ融資するという方針を取らなかつたのは、優待費は、融資請求権を株主が放棄した代償として支払つたものであるから、破産会社の損金であると主張するための伏線であつたからである。その証拠には被上告人がしばしば‐『三倍貸し』という意味不明の用語を準備書面で使用していることによつて明らかであるからである。この融資請求権の放棄の代償であるから破産会社の損金であるという論法は、これまで多くの株主相互金融会杜の等しく主張して来たところであつて、これは、はじめ株主相互金融会社という複雑な営業方針を立案した人々が苦心の結果考え出したことであるが、この方針は、この株主相互金融会社としての基本方針の一つであるが、(他の一つの基本方針は、株式会社方式で営業して貸金業取締法の預り金禁止の規定に触れないようにする方針であつたことは既述の通りである)従つてこのことを準備書面をもつて明らかに表示して、優待金は、融資請求権放棄の代償であるから損金であると主張するのがこれまでの例であつたが、何故か本件では、このことをはつきりと主張しなかつたのはむしろ異例であるが、破産会社はこの方針を明らかにしなければ、何故にこんな複雑な方法で営業を開始したかの理由を解することができないことになるが果してこの事件の被上告人も遂に不明瞭な表現ではあるがこのことを表現しているから左にこれを紹介すると、即被上告人が、本件の控訴裁判所である東京高等裁判所に提出した準備書面(昭和三九年七月一六日控訴人提出)のなかにしきりに『三倍貸し』という文字を使用していることは、内心右の代償説を言外に表示したことになるから、左にその内容を紹介すると
『いわゆる株主優待費は、同一立場にあるいわゆる株主にとつていわゆる三倍貸しの会社資金の借受け資格の取得と併立する特殊の地位資格に該当するものであつて』云々(準備書面三枚目表終りから三行目以下)という一見意味不明の表現をしているが、その意味を明らかにするためには、次のような事情が潜んでいることを明らかにしないと意味が不明であるから、上告人がこれを代弁すると、被上告人は、優待費は株主の有する融資請求権の放棄の代償であるから損金であるという被上告人の主張が準備書面上に省略されているから意味が不明となるのであつてこのことを付加説明すれば意味が明らかとなるのである。
即ち、株主相互金融会社の根本の方針が株式払込金をもつて貸付資金とするのがその方針であるが、若し株主の全部が融資を希望することになると(実際にはそんなことは絶対に起らない理由がある何となれば、株主は一般大衆であるから、一般大衆というものは常に必ず事業資金などを求めるものでなく、むしろ多くの人は、いわゆる「へそくり」を有利に利殖することを希望しているのが大部分であるから、全部が融資を希望することはないはずであるが)若し全部が融資を希望すると株主の持株の額面金額相当額(持株の額面が五十円と仮定すれば一株当り五十円しか融資できぬことになり無意味となるが、融資の資金に余裕を持たせるためには三人に二人又は五人に四人の割合で融資を辞退する人があることを必要とするわけであるから、それには、優待費を交付して融資権を放棄してもらう必要があるが、優待費はこの融資権の放棄の代償であつて云わば辞退料に当るものであるから破産会社の損金であると主張せんがための伏線であつたわけである。被上告人が前記のように、「三倍貸し」云々の表現をしたのは、実は前記のように、株主のうちには少くとも三人に一人の辞退者を必要とする(かくしないと予定の「三倍貸し」が出来ないから)意味で「三倍貸し」と表現したのであつた。このように説明して、被上告人がさきに高等裁判所に提出した準備書面中に突如として『三倍貸し』云々の文字が出て来た理由がわかるのであつて、以上の附加説明がなければ到底その意味がわからない準備書面である。原判決を下した高等裁判所が果してこの隠語(三倍貸し)の意味を理解した上での判決であつたかどうかを疑うものである。
しかして、この意味における必要経費論が常識を逸した理論であることは前記の石田裁判長の判決によつて明らかにされた通りである。即ち判決文が『融資といつても相当の利息を支払つたわけであるから、これ以上の代償を払う必要はない』と判示したのは既述の通りであるから優待費は破産会社の損金とは認めがたいと判決したいのは正しい判決であるといわなければならない。
五、むすび
これを要するに、原判決は法人税法第九条に『法人の各事業年度の所得は総益金から総損金を控除した金額による』という規定の意味を曲解して本件優待費の支出もまた破産会杜の損金であると判示したのは明らかに理由不論の違法および法令の解釈の誤りであること以上陳述した通りである。
以上